例えばそれが詩というか。

ネット詩人、5or6。若いミュージシャンを応援したり、ラーメン食べたり、詩を書いたり。

ランジャタイのネタ。谷村新司を観て。

https://youtu.be/r3lZpZNvRgo


年末のM-1予選配信を観てからランジャタイを推してる。YouTubeのポンポコチャンネルやInstagramのわく子ちゃん。GERAのサンバイザーラジオ。今年からテレビにも出始めてきた。

憧れのダウンタウンのガキ使にも出演してネタを披露した。題目は谷村新司。奇しくも自分がハマったネタだ。全国の中で自分が一番の谷村新司になる。舞台で高々と宣言をした後にまるで進撃の巨人調査兵団のように胸を掴み、俺は谷村新司だ。俺は谷村新司だ。を繰り返していく。その動きは激しさを増していき、見守り役の伊藤さんが心臓掴んじゃってるよ!あんなに動かして大丈夫?と服を掴んでいる仕草を心臓を掴んでいるというありえない行為を錬金させて観客のイマジネーションの助け舟をする。そう、伊藤さんは国崎さんのイマジネーションを観客にアシストするためにそこには無かったものを改めて定義させる言葉の錬金術師だったのだ。谷村新司に心臓を捧げたのちに国崎さん。通称国ちゃんはいきなりステップを踏み出してチョビ髭は付いているかい?と自分の口元を触りながらチョビ髭をアピールする。谷村新司でパッと思い浮かべてしまうのは頭の方や鼻の穴やギターとかあるはずだがいきなりチョビ髭をアピールしていく。今まで谷村新司=チョビ髭。という概念はあっただろうか?確かに髭がある時もあったがそんなにチョビ髭だっただろうか?昔の写真、タレント図鑑写真を確認してみる。

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若い頃はチョビ髭は無かったが確かに谷村新司にはチョビ髭がある。あのすけべ顔に生えたチョビ髭のイメージが谷村新司となったのはまだテレビが全盛期だった八十年代、九十年代の世代だ。ものまね四天王清水アキラがセロハンテープを使ってモノマネをしていたが彼は鼻をアピールしていた。なので当時を知るランジャタイの二人も谷村新司=セロハンテープ鼻。というイメージがあったはずだ。しかし国崎さん。いや国ちゃんは谷村新司の鼻ではなくチョビ髭を選んだ。このチョビ髭チョイスにより観客は何故彼は谷村新司のチョビ髭をこんなに大事にするんだろう?という違和感も生まれていく。そこから国ちゃんのイマジネーションが爆発していく。チョビ髭を外したり付けたりし始めていくのだ。チョビ髭が無かったら谷村新司では無い。チョビ髭こそが谷村新司だ。とアピールするかのように取ったり付けたりしていく。右に行ったり左に行ったり動き回るチョビ髭。ここで宙に浮いているチョビ髭を顔から迎え入れていく姿をすんなり受け入れてしまうのはじっと見守っている伊藤さんの存在が大きい。本来ツッコミ役としているはずと観客は思っているからこそ、何もツッコまない彼を観て

彼は大丈夫なんだ。と不安ながらもチョビ髭を付けたり外したりする国ちゃんを見てしまう。

すると何故彼はこんなに一生懸命にチョビ髭を付けたり外したりしてるんだろう?と我に返り、理由が谷村新司になりたいから。という意味の無い行為が彼にとって意味がある行為と認識されてその違和感に観客は感情を揺れ動かしてしまう。チョビ髭をつける動作は激しさを増して遂にはマイケルのような奇声を発し始める。マイケルじゃん。伊藤さんがまたもやマイケルを召喚する。谷村新司とマイケルが重なっていく。似ているのは帽子をかぶっているくらいか?チョビ髭からマイケルへと変化したのち

谷村新司はチョビ髭と共に消滅して国ちゃんはスリラーを歌って終わる。

ネタが終わり、もう谷村新司はチョビ髭が大事なんだ。とみんなの記憶はすり替わっていく。

こうして徐々に国ちゃんのイマジネーションの世界に引き摺り込まれてしまう。

恐るべしランジャタイ。

そんなチョビ髭日記でした。