- 作者: P.ヴァレリー,堀口大学
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 1969/05
- メディア: 文庫
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君の悪口を言って攻撃する人間は、実は自らひそかに慰めている人間でしかない。君に対するすばらしい悪口を探ね、かつそれを紙の上に見いだす男の顔を想像してみたまえ。
彼はそれを消して、もっとすごい奴を見つけようとする。
ーこのイマージュを、常に君の心に貼りつけておきたまえ。
自我がもし憎むべきものであるなら、自らのように隣人を愛すということは恐ろしい皮肉になる。
無益なことをやる場合は、すばらしくやること。
さもなければ、かかずらわないこと。
美しい作品は、作品以前に生まれるその形式の娘だ。
僕の気難しさが、僕の身上だ。
音楽とポエジーの道は交差する。
悪口は大向こう相手だ。
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詩的観念というのは
散文で現わされた場合にもなおかつ韻文を要求するものの意味だ
名声は
人が自分の思想といっしょに寝たがゆえに感染する病気の一種だ
羽毛のようでなく
鳥のように軽くなければいけない
散文で現わされた場合にもなおかつ韻文を要求するものの意味だ
名声は
人が自分の思想といっしょに寝たがゆえに感染する病気の一種だ
羽毛のようでなく
鳥のように軽くなければいけない
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行動するには なんと多くのことを知らずにいる必要があることか
うんと子供が生まれるだろう まなざしで妊ませることができたら
うんと死人が出るだろう まなざしで殺すことができたら
道路は死体と妊婦でいっぱいになるはずだ
生は死より ほんのわずか年上だ
うんと子供が生まれるだろう まなざしで妊ませることができたら
うんと死人が出るだろう まなざしで殺すことができたら
道路は死体と妊婦でいっぱいになるはずだ
生は死より ほんのわずか年上だ
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雄弁家型の人物は許しがたい比喩を乱用する
動いている間はりっぱだが
停止したら最後
ざまはない
詩篇(ポエム)ー音と意味との間の この長びく躊躇
動いている間はりっぱだが
停止したら最後
ざまはない
詩篇(ポエム)ー音と意味との間の この長びく躊躇
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ポエジーは節調ある言語によって
叫び 涙 愛撫 接吻 溜息などが暗々裡に表明しようとし
また物体がその外見上の生命あるいは仮想された意志によって表明したいと思っているらしい それらのもの あるいはそのものを表現しまたは再現しようとするの試みである
「LITTERATURE」ヴァレリー著書 堀口大學訳より抜粋
叫び 涙 愛撫 接吻 溜息などが暗々裡に表明しようとし
また物体がその外見上の生命あるいは仮想された意志によって表明したいと思っているらしい それらのもの あるいはそのものを表現しまたは再現しようとするの試みである
「LITTERATURE」ヴァレリー著書 堀口大學訳より抜粋
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文学は
興味と教訓と説教または宣伝と
自己のための習練と
他人への刺激との間を往来する
興味と教訓と説教または宣伝と
自己のための習練と
他人への刺激との間を往来する
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