例えばそれが詩というか。

ネット詩人、5or6。若いミュージシャンを応援したり、ラーメン食べたり、詩を書いたり。

poetryアルバムを作りました。

https://soundcloud.app.goo.gl/DNxCFRLFhuTuEuhS6

Japanese poetry music

ダサいかもしれないけどpoetry musicというスタイルで製作している。歌も歌えんし楽器も弾けないが音楽作って詩を詠む。これが自分の表現だ。
今、ウクライナで戦争が起きている。その反戦詩を上げる事は出来なかった。東日本の地震による原発事故やコロナ禍での政府に対する要求とかは声を出せるが戦争に関して声は出なかった。ただ戦争が起きているという詩しか書けなかった。戦争反対と言う人と聞く人と戦争をしている人とされている人。何故多くの人達が反対している事を一部の少数の人達がする事が出来るのだろう。その一部の少数の人達は戦争反対の歌はどういう気持ちで聞いているのか、そもそも届いていないのか、戦争始める人達の気持ちを知りたいと書いたら本読めと教えてくれた。本に全てが載っていたらすごいね。読む気は無いけど。沢山の人達がいて想像力も考え方も誰一人一緒のものは無いのに何で良いものは沢山の人が感動するんだろう。自分の好きなものを作っても他人は良いと思わなければそれは良いものではないのだろうか?昔書いた詩を今読んで良くないなと思うものもあるし恥ずかしいものもあるし今作って良いと思ったものもそんな風に変わってしまう事もあるかも知れない。だけど今しか作れないものは表現したい。受け入れられるものではなくても自分の作品を表現したい気持ちは変わらない。何十年も他人に認められるように表現してなかった。ただ自分が好きなものを作っていた。だから広がらずに終わるんだろうな。誰かに伝わって欲しい事を俺は表現してなかった。だから反戦とか、出来ないのかも知れない。自分の事しか興味が無いんだろう。そんな作品をアルバムにしました。自慰アルバムです。
あ、そして忘れてましたが写真で使われているアート作品はhttps://instagram.com/tsuyo_akita?utm_medium=copy_link
浜松アーティストt.akita氏の作品です。

ありがとうございます。

では。